アリの生き方こそ至上!の思い込み

アリの神格化

アリとキリギリスの話はなぜか日本人を安心させます。

「自分のやっていることは間違いじゃないんだ」と心から思えるから。

意味があるかないかわからない仕事でも毎日続けているというだけで認められる。これが「アリとキリギリス」の話の真骨頂!

 

でも実際の社会では夏に遊びながら資産を貯めたキリギリスが、冬はその運用益でのんびりぬくぬく暮らしているわけですよ。もちろんアリは冬もせっせと、意味があるんだかないんだかわかんない仕事を、自分以外でもできるんじゃないか、これ?などの湧き上がってくる疑問を押し殺しつつ続けているわけです。

 

そりゃ、アリはキリギリスを恨みますよね。

 

もちろんキリギリスがアリに何をしたわけでもない。キリギリスがいようがいまいがアリの毎日は変わらない。

でもアリにとってキリギリスの存在はすごく目障りなんです。

 

自分のやってきたことが無駄だったかもしれないと考えることは人にとってとても辛いことです。

自慢できるものが「毎日学校に行った」しかない人たちにとって、「学校行かないで幸せになった」という話はキリギリスが幸せになった以上の不快感なんです。

 

日本人にとって苦労は美徳です。

確かに嫌なことを毎日がんばるというのは素晴らしいことではあります。

でも苦労と努力はまた違います。

苦労しないための方法を探す努力だってもっと認められていい。

 

「学校に行かない」というのは「ただ苦労をしていればそれで充分」という人たちからしてみると、「ズルをしている」に他なりません。

でも見方をちょっと変えると、ただただ苦労をしている人は考える努力を放棄して楽な方に流れているだけでもある。

 

そんな人たちに何を言われても気にすることはありません。

何か言われたら心の中で、

「~などと供述しており、警察は厳しく余罪を追及していく構えである」

と付け加えましょう。