ママ友って大事?
ママ友はいてもいいし、いなくてもいいと考えてます。それは子どもが不登校でもそうでなくても。
子どもの頃に言われた「お友達をたくさん作りましょう」に大人になっても縛られている人は意外と多く、そういうタイプは子どもにも友達がいないと天地が終わったかのように悲しんでしまいます。
これは子どもにとっても辛い。
もちろんいればラッキーだけど、いなくてもそんなに困らない。
のび太にとってのドラえもんレベルに重要と思いがちだけど、実際は出木杉程度。たまに役に立つけど、比べてしまって落ち込むことの方が多かったり。
そして他人に「友達がいない」と思われたらどうしようと考えてしまう人も多いですよね。でもそれはこそこそしちゃうから。そうすると「はぐれ羊」感満載で周りの目も集中する。
普通になんでもなく過ごしていると勝手に周りが「おお、あやつは狼!」と思ってくれるもんです。
すみません、話がちょっとそれてしまいました。
ここで言いたいのは不登校になった後のママ友問題です。
不登校児童のママに対しての周囲の反応は3つに分かれます。
腫れ物に触るように接して来る人。
心から心配してくれる人。
ただ話題として知りたいって人。
でもみんな言うことは同じなんです。
「大丈夫、すぐに学校行けるようになるよ」と。
心から善意でおっしゃってくれるのはわかります。
それまで「学校?そんなの行かなくても死にゃあしねーぜ」と思っていた心が揺らぐんですよ、この一言で。
期待にこたえたいと思ってしまう気持ちもあるし、やっぱり学校は行くものなんだっていう思いもあるし。子どもの頃から思いこまされている「常識」ってホント簡単には覆りません。「枕を踏んではいけない」くらいの強さで「学校は行かなきゃいけない」って思い込んでるんですよねー。
そこで「いや、学校なんて別に行かなくてもいいと思うんだけど」と言うのはかなり勇気がいるし、なんとなく「負け惜しみ感」も出てしまう。
でもどんな時でも使える言葉があるんです。それが、
「心配してくれてありがとう」
相手が善意だろうが悪意だろうが、これを言っておけば大丈夫。
根掘り葉掘り聞きたい相手を黙らせるのにも使えるし、本気で心配してくれる人にも使えるし。
内心どんなに焦っていても、とにかく余裕の笑顔で。
「逆転裁判」で成歩堂龍一が言ってた「ピンチの時ほど不敵に微笑むべき」はここで使うべきです。
学校情報がほしい人にとってはママ友は貴重な情報源なので、「うちの子は学校に通えてる、よかったー」という相手のプライドをくすぐりつつ、不敵に笑う。
「心配してくれてありがとう。〇〇ちゃんは毎日学校に通えてて本当に偉いわー。うちも自分のペースでがんばって行こうっと」
余裕の微笑み。
このヒット&アウェーができるようになるととっても楽になります。